伊藤といいます。僕は、とある建設会社に勤めている29歳の会社員です。
こちらのブログでは、僕の今までの経験を綴り、皆様の人生の経験値となるような情報を発信していこうと思います。
今回は僕の自己紹介を、少し長くなってしまいますが赤裸々に、書かせていただきます。
僕の人生は親が期待する想像の範疇でしか生きてこなかった、とても視野の狭いものでした。大学を卒業し、やりたいことも見つからず、ただ安定しているという世間の教科書に沿って、公務員になりました。今考えれば、大学を卒業するまでに、色々な経験や知らない世界に触れていれば良かったなあと、後悔があります。
社会人になり、時間やお金を自分の知らない世界に触れることに使おうと、たくさんの趣味をつくりました。一人での旅行、サウナ、音楽、カメラなど、何か僕にしかできないものを探しました。今でもこちらの趣味は僕の余暇の使い方として、癒しを与えてくれています。
公務員として真面目に働いていましたし、何か不満があったわけでもありません。もらえるお給料は僕の生活を十分に潤してくれました。
そして、社会人4年目、2022年。世界がコロナというウイルスにより、パンデミックに陥り、たくさんの命が奪われました。私の母方の祖母もコロナを患ったことで誤嚥性肺炎を引き起こし、亡くなりました。コロナ禍ということで、祖母はビニールの袋に入れられ、棺に納められました。祖母の家は僕や、母が住んでいたところと離れていたこともあり、亡くなった祖母に触れられることもなく、最後の別れとなってしまいました。肉親である祖母に触れられなかった僕の母の気持ちを考えると、ピアノ線で心臓を縛られたようでした。
祖母との別れは僕にとっても悲しいものだと、葬儀に参列した時に思いましたが、僕の心は僕が思うほど悲しく思えませんでした。僕を本当に可愛がってくれた祖母との別れを、家族と同じ温度で悲しめない自分に疑問と苛立ちが湧きました。僕の仕事は交通事故や病気により、死が迫った傷病者の元に駆けつけ、救出活動や応急処置をするような仕事でしたので、死というものに鈍感になってしまった。そう思い、仕事を辞めようと心に決めました。人間としての備わってなくてはいけない感情が欠如してしまったと思いました。
それから2年という月日が経ち、僕は仕事を辞めました。しかしその仕事で、辛かった日々をともに乗り越えた同期や同僚たちは今でも僕の宝物です。仕事を辞めた今でも彼らのことを尊敬してます。危険な仕事と向き合い、従事する姿は勇ましく、誰がみてもかっこいい。
仕事を辞め、興味を持っていた建築業界の道に進もうと転職活動をしました。新卒で入社した会社を6年間続けたということもあり、3社の内定をいただきましたが、僕の中では何か納得がいきませんでした。思い切って仕事を辞めた。自分がやりたいことを仕事にできる。そう思いつつも、この3社で悩んでいる自分がとてもちっぽけに、薄っぺらく思い、全ての内定を蹴って、ワーキングホリデー制度を活用して海外に行こう。そう決心しました。
この決断は家族の誰にも受け入れられませんでした。僕が親でも、受け入れないと思います。しかし、今まで親の想像の範疇でしか生きてこられなかった自分が情けない。この世には僕の知らないことがたくさんある。日本という小さなコミュニティでしか生きてこなかった視野を広げたい。この想いだけで、家族の意見を振り切り、海外への渡航を決めました。これは僕の人生なんだ。僕の人生は僕が決めて、僕が実行し、僕がケツを拭く。大イキリで渡航先をカナダに決め、出発しました。
カナダに決めた理由は2つ、オーロラが見れることと、物価が日本とさほど変わらないということだけでした。しかし、英語が話せるわけでもなく、カナダにツテがあるわけでもなかったため、カナダで生きるのにはたくさんの人の世話になりました。今まで僕は真面目に生きることが唯一の長所であったため、学力は人並みにあり、ペーパーテストでも可もなく不可もない程度でしたので英語もできるだろうと過信していました。しかしこの時思いました。日本の英語学習では、コミュニケーションは成立しないと。言葉というものは、相手が理解して初めてコミュニケーションとして成立することを痛感しました。ペーパーテストでいくら良い点を取っても、それは意味を理解しているだけであり、自分の意思を誰かに伝えてはいない。巧妙に表現できる日本語から、どう変換すれば僕の思いは正確に伝わるだろうか。
ワーキングホリデー制度で渡航をすれば、海外でお金を稼ぐことができます。僕も語学学校に通いながらバイトをしようと、そのお金でカナダで暮らそうと考えていました。しかし、まともに意思も伝えられない僕を雇ってくれる仕事は一つもありませんでした。なんとか語学学校の先生の英語はわかるようになったものの、一歩外に出れば、スピードや訛りについていけず、現地人の言葉は英語ではない他の言語のように聞こえました。1ヶ月半が経ち、収入源も見つけられず、貯金も乏しくなり、語学学校の卒業とともにカナダを去ろうと決めました。啖呵切ってカナダに来たのに、2ヶ月で帰る惨めさに自分の愚かさと無能さを覚えました。しかし、現実を思い知ることばかりではありませんでした。日本だけでなく、他の国からカナダに来た、考えも故郷の言葉も、年齢も様々な人たちと心を交わすことができました。いつか君の国に訪れて、もう一度会おう。そう約束した人がたくさんできました。別れを心から悲しいと思える人たちと出会いました。帰りの飛行機では惨めさや愚かさではなく、親しかった友人たちとの別れを純粋に悲しむ涙が出ました。僕は生きている。そして、再会のために生きていく。僕の人生の目標が決まりました。
僕の人生はまだまだ薄っぺらい冊子のようなものです。誰かに教えを説くことなど到底できると思いません。ですが、僕が経験したような失敗が一例としてあるということを、皆様に知っていただきたいと思っています。皆様の人生が僕の失敗を踏み台にして、幸せがおおからん事をお祈りしております。
2025/2/8

カナダでの一枚
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